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はせくらみゆきのマンスリーことのは通信

あけの会 マンスリーことのは通信2020年5月

皆様、こんにちは。
お元気でいらっしゃいますか?
(社)あけの会では、
このたび、はじめての
オンラインでの研修会を開催させていただきました。
全国各々の場所から、共に心を合わせ、学び、語り、笑い、
気づきの多い研修会となりました。
また、それぞれの場所から舞研修も行いました。
このような中においても、お稽古が出来ましたことを、
大変嬉しく、有り難く思う次第です。

さて、最近、私が感じていること。
それは、暮らしを通しての
「むすび」について、です。

ムスビ、それは産霊(むすひ)とも申しますが、
その真意は、私たちを生かしてくれる、
大いなる力―いのちの力と一体になるということ。

その力に生かされながら、
今、この瞬間を十全に生きていく。
ということではないかと思っております。

現在、天と地が分断され、
そして、あなたと私が分断され、
私と私以外、という世界の中に、
私たちは所属しております。

そこを再び結んでいく大切さを想います。

天と地を結び、
あなたと私を結び、
私と私以外が結ばれて、
繋がりとバランスの中で、
新しいステージが始まっていく。
その、まさしく渦中の中に、
私たちは存在しているではないかと思っています。

この、「むすび」の心を鑑みながら暮らしていると、
ふと、気づいたことがございます。
それは祝詞の中にでてくる、
天津罪と国津罪についてです。

それは、
私たちはもともと、大いなるものの枝分かれとして、
つまり、神なる分身として、この世に遣わされ、
この素晴らしきクニをさらに素晴らしきものにせよと、
修理固成を命じられたのでありますが、

天津罪とは、そんな命(みこと)としての
尊い我であったにもかかわらず、
天の御心を忘れてしまった状態のことであり、

国津罪とは、その我が、
するべきことをしていない状態のことではないか、
と直覚致しました。

つまり、
アマツツミ=アマなる心から離れてしまったツミ。
クニツツミ=アマなる使命を果たしていないツミ。
です。

しかしながら、このツミ(罪)は、
西洋の言う、原罪といったものでは到底なく、
もともとの真澄清らな状態から、
曇りが出てしまった状態のことであり、
それを、「祓う」ことによって、
もとのピカピカの真っ新な状態へと刷新していくのだ、
ということです。

余談になりますが、もともと「罪」という言葉の語源は、
的から外れた、ということであり、
「いけない」とか「悪い」ということではないのですね。

的から外れたのであれば、
元に戻して、的に当ててあげればよい、
ということになります。

そう考えると以下に私たちは、
恐怖スイッチの中で暮らしていたか、ということでも
あるのかもしれません。

祓って、祓って、浄められ、禊がれて、
もとのぴかぴかの状態へと戻っていく、
その神様の御心と共に、
つまり、宇宙の大いなる力―いのちの力によりそって、
結び、結ばれ、産みだしていく。

そんな新しい時代の始まりが、
今、なのではないかと思えて仕方ありません。

では、今月の雅楽を御紹介致します。

2010年11月22日に出雲大社御仮殿で斎行された
神在祭の最後に舞われた奉納神楽を転載致します。

八百万の神様が一斉にお集まりになり、
神謀りをされる神在祭。

その舞は、拝見しているだけで、
胸が熱くなり、私たちの深奥に働きかける何かがあります。

自粛疲れ、コロナ疲れもあるかと思いますが、
どうぞ、神々様とそこへ向かう方々の真澄清らの想いに
心を重ね合わせられつつ、日々を安寧に過ごされますように。

皆様の幸せと平安を心から祈っています。
それでは今月もお元気でお過ごしください。

一般社団法人あけのうた雅楽振興会代表理事
はせくらみゆき 拝

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