
新年、明けましておめでとうございます。
皆様におかれましては、佳き新年をお迎えされていることと思います。
今年も安らかで良い年になりますよう、祈念しております。
さて、私の方は、昨日まで、この春発刊するための、
ペットたちがメッセージを語る絵本の絵を描いていました。
メインの絵が36枚と補助の絵を36枚。計72枚となりました。
昨年までに終わらせたかったのですが、なかなかそうはならず、
1月1日をもって無事、書き終えたので、本日よりお正月となりました。
確かに大変…だったのですが、描きながら、描かせていただけること自体が、
ただただ有難くて、幸せでした。
さて、さっそく今月のお話をしたいのですが、お正月にちなんで、
お正月によく聞く曲の話題を取り上げたく思います。
(今月は雅楽のご紹介ではございません)
皆様、お正月…となると、この美しき箏(こと)の調べを
耳にされているのではないでしょうか?
六段の調べ 八橋検校(やつはしけんぎょう)作
この曲は、箏の名曲で、作曲者は八橋検校という江戸時代(1615~1685)の筝曲者です。
盲目だった彼は、暮らしを支える糧として、以前より盲人の職とされていた
箏や三味線を学び、若い頃より頭角を現した人物です。
なお、なぜ箏や三味線、尺八といった邦楽が、
盲人たちにとっての職となりえたのかというと、
時は9世紀にまで遡ります。
というのは、9世紀の仁明天皇の皇太子であった人康(さねやす)親王の眼が見えず、
出家されたのですが、人康親王は、楽の道を究められたのです。
同時に、親王は盲人たちを舎人に採用し、
彼らに楽の道を教示されたのでした。
このような経緯があり、目の不自由な方が奏でられる奏者たち―
その最高位を表す名(役職名)を、「検校(けんぎょう)」と呼んだのでした。
こうした伝統が連綿と受け継がれることになり、江戸期に至ると、
先にお伝えした八橋検校(←その名前がついていますでしょ)が活躍することになります。
今なお、時を経ても、心に染み入る楽のしらべを現代人に届けて下さっています。
この曲を聴くたびに、日本文化の厚みと人々の想いを感じ、胸の奥が静かに高鳴るのですね。
さらにもう一人、明治から昭和の時代まで活躍した、「大検校」(検校に「大」がついているのです)のこともご紹介させてください。
その人の名は「宮城道雄」。お名前は聞いたことがあるのではないでしょうか。
宮城道雄は西洋音楽と伝統音楽を融合させた日本の音楽史に欠かせない人物ですが、
彼は8歳で失明し、筝を学びました。
そして11歳で名手となったあと、筝奏者として一家の大黒柱として、
家計を支えながら、波乱万丈の人生を送り、62歳で不慮の事故でこの世を去ります。
「波乱万丈」の中には、若くしてこの世を去った妻の死や、その後養女を引き取り、
可愛がっていた子との死別など、様々なこともあったのですが、
彼は静かに受け入れ、音や律動の一つひとつに天なる息吹を吹き込みながら、
西洋音楽の良さと決して失ってはならない日本の伝統音楽の響きを融合させたのでした。
そんな彼の代表曲(おそらくお正月には聞いているものです)を二曲、ご紹介しますね。
【春の海】
【さくら変奏曲】
眼を閉じて聞いていると、情景が広がってきます。
同時に、これらの曲は、西洋的な律動(リズム)に近いため、
西洋楽器と和の音を合わせることも可能になったのです。
ですので、たとえば「春の海」は、箏と尺八なのですが、主旋律を他の当している尺八をバイオリンなどで演奏してもまた、美しき調べとなることが可能です。
実際、宮城道雄は昭和7年(←戦前ですね)に、フランスから来日した有名なバイオリニストであるルネ・シュメーと共演し、大成功を収めています。
その後、この曲は、アメリカやフランスでも発売されて評判となっています。
私自身このことを想うとき、伝統と革新という、
一見、対立軸のように見えるものが、より新しい可能性をもたらしていくという、
希望と広がりの世界を垣間見ているような気がしてならないのですね。
あけの会も、その意味では「伝統と革新」的な要素を含んでいると思っています。
今月は少し長くなってしまいましたが(すみません!)、
稽古照今(いにしえ(古)を稽(かんが)え、今に照らす)を軸に、
その照らされる「今」の中に、未来をも包含していることを感じながら、
今、この瞬間を丁寧に紡いでいきたいと思っております。
今年もあけの会の活動を通して、また、メルマガ会員の皆様との交流を通して、
素晴らしき一年を共創出来たらと思っております。
本年もどうぞよろしくお願い致します。